INTRODUCTION

愛する女と映画のためならば、向かう先が地獄でなぜ悪い!!

武藤組組長・武藤は、獄中の妻・しずえの夢をかなえるために、娘・ミツコを主役にした映画を製作していた。だが、ミツコは男と撮影現場から逃亡してしまい、映画スタッフからも愛想をつかされる。妻の出所まで数日しかないため、武藤は手下のヤクザたちを使って自主映画の製作を決意。ミツコの身柄を確保して連れの男・公次にオトシマエをつけさせようとすると、ミツコから彼は映画監督だと告げられる。武藤は公次にミツコ主演の映画を死ぬ気で撮らせることにするが、実は公次は駆け落ちした男ではなく、ミツコに言いくるめられて連れて来られた通りすがりの男だった。だが、映画監督と偽らなければ命がない。撮影準備が始まり、ヤクザたちは公次を質問攻めにするが、もちろん映画の作り方など何も知らない発狂寸前に陥った公次は逃亡するが、直ぐに捕まってしまう。その時、少年時代から自主映画を作り続け、いつか永遠に刻まれる1本の映画を撮ることを夢見ていた映画監督志望の平田が率いる自主映画集団「ファック・ボンバーズ」と奇跡的に出会う。平田は夢の映画が遂に実現すると狂喜。ヤクザとの混成チームによる映画作りが始まった。しかもこの映画は、ミツコに思いを寄せる敵対するヤクザ組織の組長・池上を巻きこみ、殴り込みをそのまま撮影する真の実録ヤクザ映画だった。たとえその先に地獄が待っていようとも、愛する妻のために、愛するミツコのために、愛する映画のために、彼らが命を賭けた映画撮影が今、始まる!!

園子温が究極のエンターテインメントに挑んでなぜ悪い!!

今や日本のみならず、世界中から熱い視線が注がれる映画監督・園子温。昨年は東日本大震災と原発事故に直面した日本の状況を、いち早くフィクションで再構築した『ヒミズ』『希望の国』を相次いで発表。これまで『愛のむきだし』『冷たい熱帯魚』『恋の罪』などで知られた“性と暴力の過激な映画作家”のイメージを覆して幅広い観客層から絶賛を集めた。絶望の底に希望を見出した青春映画『ヒミズ』は主演の染谷将太と二階堂ふみに第68回ヴェネチア国際映画祭マルチェロ・マストロヤンニ賞(最優秀新人賞)、原発問題に正面から挑んで絶望を深くえぐった『希望の国』は第37回トロント国際映画祭最優秀アジア映画賞を受賞するなど、世界各国から惜しみない賛辞が寄せられた。
 待望の新作は、社会派映画監督と呼ばれるようになった自らのイメージを破壊することを楽しむかのような超娯楽作品!約20年前、映画への野心を胸に執筆した幻のオリジナル脚本に改めて自ら加筆することで、当時の映画に対する情熱を甦らせてスクリーンに炸裂させる。アクション映画・ヤクザ映画・コメディ映画・青春映画・恋愛映画等々、あらゆるジャンルが交錯する究極のエンターテインメント映画が誕生した。

殺れい!殺ったれい!実力派俳優、若手人気俳優がドスと銃弾で血にまみれてなぜ悪い!!

主演は北野武、是枝裕和をはじめ日本を代表する実力派監督たちの作品で独特の存在感を見せる國村隼。武藤組を率いる組長の武藤大三役を抜群の安定感で演じ、他キャストを牽引する。映画監督を目指して自主映画を撮り続けてきた平田に「鈴木先生」「家政婦のミタ」などで人気急上昇中の長谷川博己。ひょんなことから映画作りに巻き込まれてしまう青年・公次を演じるのは、ミュージシャン・俳優・文筆家などマルチな才能を発揮する星野源。武藤の娘ミツコには『ヒミズ』の熱演も記憶に新しい二階堂ふみ。ミツコに思いを寄せる池上組組長の池上を堤真一、敵のヤクザをひとりで撃退する武藤の妻を友近が演じている。脇役陣もバラエティ豊かな顔ぶれが揃う。平田が口説く美女に成海璃子、未来のブルース・リーを目指す平田の自主映画仲間を坂口拓、ファック・ボンバーズを見守る映写技師でミッキー・カーチス。また、出番は少ないものの、園作品常連の渡辺哲、でんでん、つぐみ、深水元基、神楽坂恵も参戦。さらには、板尾創路、水道橋博士、岩井志麻子、石丸謙二郎、諏訪太朗、江波杏子といった豪華メンバーが脇をかため、一瞬足りとも見逃せない展開を繰り広げる。

素人とヤクザが映画を作ってなぜ悪い!!

本作で描かれるのは映画作りへのオマージュ。映画撮影の内幕を描いた名作『蒲田行進曲』では、伝統的な撮影所を舞台にした映画作りが描かれたが、時代は移り変わり、日本映画を担う映画監督の多くは自主映画出身になった。無名の素人が自力で個性的な映画を撮ることで認められ、プロの映画監督になるチャンスを掴む。そんな時代にふさわしく、本作では若き日の園子温がそうだったように、既成概念にとらわれない価値観を武器に自主映画を撮り続ける若者たちと、映画を作るためにプロの撮影機材の使い方を覚えてしまうヤクザたちが登場する。現在では撮影機材もフィルムからビデオに変わり、予算をかけずに誰でも簡単に映画が撮れるようになったが、かつての自主映画とは多額の自己資金を投入して一世一代の映画を作ることだった。まさに本作は、園子温が体験してきた命がけの映画作りの再現であり、唯一無二の自由な映画を作ることができる素晴らしさを描いた映画への賛歌である。